人間はいろいろな問題についてどう考えていけばいいのか〜抽象と具体をセットで考える〜




世の中には様々な問題がありますよね!

この前かわいい店員さんに接客してもらい、どうにかしてこの抑えられない気持ちを伝えたい!

でも、いきなり連絡先交換をお願いしても変なやつと思われる!!

ああ!どうしたらいいんだ!!!!!

という深刻な問題に直面してしまいました。(ちがう)

そんな時に役に立つかもしれないのが、今回紹介するのがこちらの本!

この本では原発事故が起きて、再稼働するかどうかなどを例に上げてますが、

複雑で感情的な問題をどんどん抽象化することで問題を冷静に捉え、できるだけ

理想を目指すためにはどうすればいいのかということが書かれています!

ズバリ!テーマは「客観的で抽象的な思考術」

ただし、客観的で抽象的な思考術というのはこうすれば身につくというものではなく

日々の生活の中で身につけていくものなので教えることはできないと書かれています。

しかし、どのようにして客観的で抽象的な思考術を身につければいいのかを筆者である

森 博嗣(もり ひろし)さんの経験を通してヒントをえることができます。

「具体」から「抽象」へ

抽象的に考える場合には、表面的なもの、目の前に見えているものに囚われないことが大切です。

例えばオフィスビルをみて、「ビルと蜂の巣って似てるよね」

と聞いて「ああ、確かに」と思うのか「え?何言ってるの?」と反応が別れます。

前者は抽象的にみることができてると言ってもいいかもしれません。

ここでの発言は、ビルがオフィスごとに区切られて階層になってるところが、

蜂の巣の六角形ごとに部屋が別れているところの共通点を指しています。

このように抽象的に見ることで発想することができます。

そして、発想というのは、論理のジャンプのような行為であって、

筋道のないところへ跳ぶ思考なので「非論理的」なものです。

具体的な情報を入手しやすい現代で

SNSが普及することで誰でも情報を入手し、発信することが可能になりました。

その中で注意をしたいのが、「願い」を「意見」にしてはいけない、ということです。

大勢の「感情」を煽って、声を大きくすれば社会は動く、という考え方は民主的ではなく、

ファシズムに近い危険なものだと感じます。

例えば炎上行為。

自分の意見を広めるために有効な手段の一つですが、やっていることは

1920年代から 1930年代にかけて登場したドイツのアドルフ・ヒトラー

スペインのフランシスコ・フランコらによって指導された権威主義体制の運動のように

つまりファシズムと変わりありません。

しっかりとした情報を入手し、自分の見方をもち、互いが違った意見を述べ合うこと、

そしてその調和をはかるために話し合うことが、今後、ますます重要になってきます。

最も行ってはならない行為は

自分に都合の良いものだけを引用して自分の意見を主張し、

それ以外の意見は聞く耳を持たない姿勢です。

人間関係を抽象的に捉える

人間関係は上手くいくときもあれば、うまくいかないときもありますよね。

そして人間関係での「楽しい思い」というのは苦労の先にあるというのが、

経験を通して学んでいきます。

重要なのは決めつけないことです。

人それぞれ、その人の「型」をもっておりその比率や優先順位が違うだけで

それらの組み合わせで人間のバラエティができます。

しかし、この人の「血液型は〜」「誕生日は〜」「〜出身だから」

と具体的な型にこだわりすぎてその人の人柄を決めてしまうと

本質とはズレた捉え方をしてしまい、あらぬ誤解を生んでしまいます。

具体的な手法にこだわらない

相手を一つの「型」として分析するのはとても大切です。

互いが相手の身になれない状態というのは、上辺だけの関係であり、

本当の意味での「親しさ」と言えるものではないからです。

ただ、注意が必要なのは

自分の分析結果を全面的に他人に対して、口に出さないほうが良いということです。

その分析に基づいて行動するときは、あくまでも仮説だということを忘れてはいけません。

世の中には、心理学やメンタリズムなどコミュニケーションに対しての具体的な手法に

関する情報が溢れていますが

具体的な手法を頼りにしている人間は、どうしても「浅く」なり、

過ごす時間がながければ長いほどそれを見抜かれます。

抽象的な考え方を育てるには

結論として、抽象的な思考を身につける方法というのは具体的にはありません。

なので、教育として教えることはできません。

教育とは具体的な知識を詰め込むことしかできないことだからです。

最も参考になるのは子供の発想です。

子供は具体的な情報に触れてないですから、大人にはできない子供の突飛な発想は

とても多くを学ぶことができます。

抽象的思考は日ごろから常に、既成概念に囚われないことを心がけて、

少しずつ自分の中で育てるしか方法はありません。

手法のようなもの

自分の中で育てるしかないと言われても、とっかかりがつかめないと

どうすればいいかわからないので、いくつか手法のようなものが紹介されています。

一つ例をあげると

・ジャンルや目的にこだわらず、なるべく創造的なものに触れる機会をもつことです。

美術館や展覧会に足を運び作品を評価します。

このとき注意するのが作品の作者や経緯といった情報を入れずに自分の感性だけで

判断することです。

自分と目の前にある芸術作品との関係が芸術の本質です。

私達は普段の生活であまりにも数字による相対評価にさらされすぎています。

しかし、自分の感性による絶対評価も同じように重要なのではないのでしょうか?

具体的な情報の弊害は「思い込み」

具体的な情報にさらされると、「これはこういうものなんだ」

という外界からの圧倒的な情報と押し付けが「疑問など持つな」と働きかけます。

そのような状況だと「できるのにできない」と思い込むことが多くなり

自ら挑戦することを放棄してしまいます。

しかし、言うこと、書くこと、考えることは自由で誰にも奪うことはできません。

自分以外の人間や社会全体を変えることはできませんが

自分自身ならば比較的簡単に変えることはできます。

自分を変えたいひとはこちらの記事を参照にしてみてください

嫌われる勇気 図解解説

抽象的に生きる楽しさ

抽象的思考は日頃から常に、心がけて自分の中で育てるしかありません。

たくさんある、具体的な「発想法」や「思考法」は怪しいと疑ったほうがいいです。

なぜなら、一つでも確実にうまくいく方法が存在するなら、

自然に他のものが淘汰されるはずだからです。

抽象度を増すと、虚しくなるかもしれません。

しかし「虚しくなるから考えない」というのは理由として変で、

そう思うのは「虚しいことは悪いこと」と思い込んでいるからです。

人生を楽しむには、虚しさと親しみ、明日死ぬと思って毎日行動し

また、永遠に生きられると想像して未来を考えることではないのでしょうか?

考える「庭」を作る

大事なことは、「もうちょっと考えよう」という一言に付きます。

与えられた情報をそのまま受け取っては考える力は付きません。

「考える力」とは「庭」と似ています。毎日手を加えないと

たとえ素晴らしい庭園でも、荒れ果ててしまうように、

自分で頭を働かせて、世話をしなければ、新しい発想、優れたアイデアが生まれる

土壌は育たないし、また維持もできません。

3つのセット

抽象的思考と論理的思考と具体的な行動は3つで1セットです。

発想

論理的思考or計算や実験による検証

具体的な対策の計画

という手順をふむことで現実で使えそうな「方法」になります。

そして実現するためには具体的な行動を起こす必要があります。

この発想と計算の両者をバランスを意識することで

抽象的すぎたり、具体的過ぎたりすることを防ぐことができます。

決めないという利点

抽象的に考えられる人は、決められない保留がたくさんできる頭も持っています。

その保留ができるほど、「庭が広い」と捉えることができるかもしれません。

自分自身の庭は、誰かのものと同じではありません。

どこかが違い、そして違うからこそ、その人の人間が存在する意味があります。

最終的に自分の理想とする現実は、まずこないでしょう。

しかし、そうならないにしてもそこへ向かって「近づいている」という

意識が大切で、それこそが楽しさになります。

まとめ

抽象的思考は人に教えてもらうものでも、教えられるものでもなく

日々の生活のなかで育てるものです。

ここで「考える力」を「庭」を例えに出しているのは

どちらも自然だからです。

人間の考える脳は人工物ではなく、自然なものなので

時期、場所によって変化する庭のように、

人間の脳も一定の状態を永遠に保てるわけではありません。

感想

だまコロは抽象的思考は得意なのですが、

論理的思考と具体的な行動は得意ではなく

抽象的思考は役に立たないものだと思いこんでいました。

しかし、その3つは1つのセットであることがわかり

自分の強みであることを認識することができました。

抽象的思考をこれからも育てつつ、そこから得た発想を

論理的思考で整理し、具体的な行動をとるまで落とし込む

という思考のバランスを今後、意識していこうと思いました。

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